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天平の疫病(奈良時代) [歴史]

「新型コロナウイルス」の大流行で世界中が麻痺してます。
そして私たちが暮らしている日本の歴史は「疫病との闘いの歴史」でした。
時代が遡るほど医療が未発達で衛生状況が良くなかったために
疫病の流行によって「新型コロナウイルス」以上の多大な被害をもたらしてきました。

今回の記事で取り上げます奈良時代の天平9年(737年)にある疫病が大流行しています。
この疫病によって当時政権を握っていた藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が
病死し、
藤原政権が倒れる事態までに発展して政治機能が麻痺してしまいました。

疫病は「天然痘(疱瘡(ほうそう))」のこととされていますが、実際のところは史料に明確に
明記されているわけではないようですね。

過去の記録上では天平の疫病「天然痘(疱瘡)」で公卿の約3分の1が感染して死亡しております。
今に例えるならば安倍内閣を構成している総理大臣や各省庁大臣の3分の1が亡くなるようなものです。

※「公卿(くぎょう)」とは朝廷に務める身分の高い役人のことで、
「公」は太政大臣と左・右大臣、「卿」は大納言・中納言・参議と三位以上の役人を指し
まとめて「公卿」と言います。

現状、奈良時代の史料そのものが少なくて、
私が知っていたものは「続日本記」くらいです・・・
特に疫病についての公的な記録は稀少なため実際の犠牲者数やどのような対策が取られたのかも
分かっておりません。
ただ天平年間に政治を担っていた公卿たちが、疫病の流行前後でどれぐらい入れ替わったかを調べた
研究はあるようで、
疫病流行前に92名だった公卿たちが、疫病流行後には56名に減少しております。

※大学の研究室等でも奈良時代の疫病がどうだったのかと言った研究は実際にされております。

当時日本のトップクラスの公卿達のうち約3分の1が死亡した環境や栄養状態を考えると、
庶民が罹った場合、半数以上が亡くなったとしても不思議ではない状況と思われますね。
日本の総人口(天平の疫病が流行った当時)の25~35%に当たる100万~150万人が亡くなったとも
言われております。

この非常に高い致死率から、当時の奈良時代の日本では未経験に近かった「天然痘(疱瘡)」
だったのは、間違いなさそうですね。
日本での疫病は古くより、海外から持ち込まれることが多いようでして
現在猛威を振るっている「新型コロナウイルス」は中国から伝染しておりますし・・・
平城京の「天然痘(疱瘡)」に関しては、朝鮮半島の新羅(しらぎ)に派遣した使節(遣新羅使(けんしらぎし))を
通じて入ってきたと言われますが、
その辺については諸説があるようで、天平6年(734年)から9年の間に新羅のほかに遣唐使や渤海に
行った使節が帰国している記録が残っているからです。

「天然痘(疱瘡)」は、高熱から始まるものの、数日後にはいったん熱が下がります。
この時点で治ったと思って動き回ると、感染がどんどん拡大してしまいます。
数日後に再び高熱が出て、さらに激しい痛みを伴う発疹が全身に広がります。致死率は高く、
運よく治ったとしても
発疹の跡が顔などに残ってしまうようです。

また強い感染力も特徴で、低温や乾燥に強く罹患した人が使っていた寝具を2週間後に別の人が
使っても罹患する可能性があるといいます。
会う人が限られていた公卿たちが次々と罹患していることからも、感染力の強さがうかがわれます。
そして発症までには、12日前後の潜伏期間があるとされており、いったん熱が収まるという
特徴と長めの潜伏期間、そして強い感染力によって、「天然痘(疱瘡)」は爆発的に広まったのです。

まるで「新型コロナウイルス」並みに恐ろしい病気であることは間違いございません。

天平の疫病の大流行は、日本の歴史に大きな影響を及ぼした厄災です。
藤原四兄弟が亡くなった後、藤原氏の勢力は大きく後退し、聖武天皇を中心に橘諸兄などによる
「皇親政治」が始まります。
それに対して藤原氏では、四兄弟における一番上の武智麻呂の子・仲麻呂が巻き返し、
その後には元々は僧侶だった道鏡が天皇に即位しようとして政局へ現われたりと
政局は混迷を深めていくのですね。

※「皇親政治」とは、天皇および皇子・皇孫など皇族を中心とした政治形態です。

この疫病の大流行は、まさしく奈良時代のターニングポイントになった出来事でした。
聖武天皇が仏教による国家鎮護のため建立された東大寺の大仏や日本全国各所に建立された
国分寺はこの疫病とは無縁ではなかったようです。

そして聖武天皇は743年「墾田永年私財法」を発令し、723年「三世一身法」という孫までの
3代の間は土地の私有化を許可するという制限を取り払い、
新たに開墾した土地は永久に農民達のものとして働けば働くほど多くの収穫を得ることができ、
しかもその土地は自分の物になるので
実際に農民達の労働意欲が増していきましたね。
「新型コロナウイルス」の影響による給付金支給とは意味合いが異なりますが、
疫病で苦しむ人達への救済措置に思えましたね。

長い間、人々を苦しめ続けた天然痘(疱瘡)。
その苦しみから解放されるのには、近代免疫学の父と呼ばれるエドワード・ジェンナーにより
天然痘の予防接種である「種痘」が発見され、
「種痘」が世界中に普及した二十世紀を待たなくてはなりませんでした。

「新型コロナウイルス」も早急に新薬の開発等対処法が見つかることをいつも願います。


※記事作成参照元:web歴史街道様 2017年12月28日公開記事より
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4615


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